《最新情報》

ぼくの著書『お父さん、牛になる』が、福音館書店より発売中。
Amazonはこちらです。
お父さんが牛になる話。ささめやゆきさんの絵が良すぎる。

『お父さん、牛になる』おかげさまで重版かかりました!
執筆、出演依頼等は随時受付中。メールフォームからどうぞ。


2011年09月18日

シュヴァンクマイエった日

どうも晴居です。

あいかわらずブログが放置ぎみです。まあ、地味な作業ばかりしているので、まとまった文章を書くほどのことがないんですよねー。Twitterがブログがわりになっちゃってますし。

ところで、もう二週間前の話になるんですが、シュヴァンクマイエル関連イベント鑑賞に行きました。新作映画『サヴァイヴィング・ライフ』の公開にあわせて、過去作上映と、展覧会2件がありましたので。

シュヴァンクマイエルはチェコの映画監督で、主に実写を用いたアニメーション作品で有名な人です。まあ、映像以外でも、立体造形や絵画、文章なども書いている全方位的芸術家で、現役作家の中ではもっとも有名なシュルレアリストといっていいんじゃないでしょうか。ぼくは10代のときに彼の作品をDVDで観て以来のファンでして、先日、一気にあれやこれやを観てきたんですけど、いやー、よかったです。

新作は「夢と現実」を題材にしたものでこれもなかなかだったんですけど、回顧上映で『キメラ的世界』というドキュメンタリーで彼の創作スタイルや信条などを観たあとに、ラフォーレ原宿ミュージアムで作品展を観たのが、個人的に「つながった!」って感じでグッと来ましたね。ラフォーレの展覧会はすばらしかったです。彼の映画で使われた小道具や美術、彼の美術作品、ともに芸術家である彼の奥さんの作品などが展示されていたのですが、やはりシュヴァンクマイエルは、映像もいいですが、立体作品が抜群にいいですね。いろんなものをコラージュしたまさにキメラ的な作品。突起物をつけた「触れる詩」など、見応え充分でした。

シュヴァンクマイエル作品に触れると、ぼくはいつも「図工」の楽しさを思い出します。「美術」じゃなくて「図工」を想起させるんですよ。あの、小学校のときに、ガラクタを集めてなにか作ってみましょう、みたいなやつって、おもしろかったじゃないですか。ああいうものが、きちんと芸術なのだと、シュヴァンクマイエルはいつも教えてくれる感じがします。彼には長生きして、まだまだたくさん作品を制作してもらいたいです。
posted by 晴居彗星 at 21:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

レンピッカ展行ってきました

どうもお久しぶりです。晴居彗星です。

さて、久々の美術鑑賞カテゴリのエントリなんですが、今、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「レンピッカ展」をやってましてね。それを観てきたんですね。

美しき挑発『レンピッカ展・本能に生きた伝説の画家』

タマラ・ド・レンピッカはポーランド出身のアールデコの画家ですが、実は僕、この展覧会の広告見るまで存在を知らなかったんですね。だから今年度のBunkamuraのラインナップ見ても「ふーん」って感じで、あまり興味がなかったんです。

でも行ったら結構面白くてですねえ。というのも、一個人で特に故人の画家の生涯を追った展覧会というのはだいたい、その人生を通じた絵柄の変化を見るという面白さがあるわけですが、レンピッカはその変化が強烈に絵に現れていた感じがしたんですよ。

ざっくり言うと、レンピッカの絶頂期って、1920年代中盤から30年代初頭ぐらいまでの、パリにいた時期の作品だと思うんですね。この時期、レンピッカ自身もスキャンダラスな生活をしていたようで、わかりやすく言うと「派手」なんですよ。それでいて、当時のフランスって、モダンで新進的な雰囲気っていうのがブルジョワ階級にはすごくあったと思うんですよ。そのあたりが絵によく現れてる。

たとえば公式サイトで紹介されているやつだと『シュジー・ソリドールの肖像』なんかによく出てると思うんですけど、この絵、なんか「硬い」感じしません? レンピッカの絵って、だいたい「官能的」っていう謳い文句で紹介されてるんですけど、僕はあまりそういう感じは受けなくて、最初にレンピッカの絵を観たときに「なんか硬そうな絵だな」と思ったのが率直な印象だったんですね(悪い意味ではなく)。官能的っていうのは、たとえば娘を描いた『ピンクの服を着たキゼット』みたいな、ちょっとロリータ的な官能性みたいなのはなんとなく理解できるんですけど、『シュジー・ソリドールの肖像』って、おっぱいも全然柔らかそうじゃないし、髪の毛もまるで石の帽子みたいじゃないですか。あんまり、人間っぽくないというか。

でも、きっとそれが当時の時代っていうのをよく写しているんじゃないかと思ったんですよ。モダンで進歩的って、当時だとビル街の「摩天楼」なんていうのが出てきた時期ですけど、当時のレンピッカの絵って、摩天楼っぽい背景に硬質な人間、みたいな肖像画ばかりです。それがグラフィック的に凄くスタイリッシュに描かれていて、つまりそれがレンピッカの感じた1920〜30年代だったのかなあって思うんです。

で、これがその後どうなるかっていうと、どんどんオールドマスター(18世紀以前の、技術がめちゃめちゃ凄い画家)っぽくなっていくんですね。実際、年表とか見ると若い頃にその頃の絵とか見てずいぶん影響受けたらしく、先の絵とかもそういう要素が多分に入ってるんですけど、初期の頃の斬新な感じがどんどん消えて、極めてストイックな緻密さが強まっていくんですね。もうキャンバスから人物が浮き上がってくるんじゃないかっていうぐらい。この時期、いろいろあったレンピッカは鬱病になってたらしいんですよ。だから『修道院長』なんかからは、レンピッカの祈りの声が聴こえてきそうな気がします。絵を描くことが祈りだったんじゃないかと思えます。

それで第二次大戦以降ははアメリカに移り住むんですが、この頃の絵ははっきり言って、あまりよろしくないように感じました。なんといいますか、端的にいって「枯れた」感がありありと感じられるんですね。風景画が多くなってるんですけど、それも、構図自体はすごく上手いんだけど、寂寥感みたいなものばかりが伝わってくる。人物画もあるんですけど、本当に若い頃のギラギラした感じがすっかり消えて、当時の孤独な境遇や、若き日が遠くなってしまったことへの悲しみを感じました。いわゆる「年齢を経たことから生じる良さ」みたいなものはあまり絵に出てない印象だったんですね。

だから本当に、レンピッカはあの若き日のフランスを全力で駆け抜けて謳歌して、そして消え去ったという、まさに時代と寝た画家だったのかなあって気がしました。今、こうして再評価されて、その全体像を通して観ることが出来るというのは面白いですね。興味があったら、足を運んでみるのもいいと思いますよ。
posted by 晴居彗星 at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

「手塚治虫展」に行ってきました

ふと思い出して、江戸東京博物館の「手塚治虫展」に行ってきました。

直筆原稿などが沢山展示されていましたが、僕的には読み切りの『火の鳥・休憩(インターミッション)』の原稿と、『火の鳥・大地編』のシノプシス原稿(一部ですが)が「おお!」と思いましたね。『休憩(インターミッション)』というのは存在自体知らなかったし、『大地編』は、日中戦争が舞台というのは知っていましたが、主人公格がロック扮する将校の予定だったなど、新たな情報が得られて有益でした。これは僕が持っている『手塚治虫全史』にも載ってなかったなあ。

観覧している客層は、お年寄りから中学生っぽい子まで、ほぼ全世代に渡っていました。下の層は女の子が多かったかな。以前、現代美術館でジブリのレイアウト展に行った時は圧倒的に若者中心でしたが、やはりこのあたりは、手塚治虫ならではですね。僕のとなりで、同じようにガラス越しの生原稿の覗き込んでいる老夫婦が「この頃『少年画報』がねぇ……」などと話しているのが聞こえてました。

考えてみれば、手塚治虫生誕80周年で、彼は20代の頃にはもう流行作家だったわけですからね。その作品を読んで育った世代も既に壮年になり、今やほぼ全世代が「マンガ世代」と言ってもいい。そしてマンガはいつのまにか、日本を代表する文化であり事業にまでなっている。これは凄いことだと思います。

確かに、作品単体で見れば、あるひとつの手塚作品よりも優れている作品というのは沢山あると思います。今となっては、手塚作品は古くさいしつまらない、と感じる世代があってもしょうがない。それは時代性もあるし、読んで育った感性もあるから。それでもやはり、作家としての手塚治虫の存在感は群を抜いていると思います。

もちろん、無闇に手塚治虫ひとりを神格化してしまうのもやや問題です。戦前もマンガはそれなりに盛んだったし、映画的手法というのも手塚が開祖かというとちょっと違う。だけど、手塚治虫がその躍動的な構図をより進化させ、コマの読ませ方その他のマンガ表現手法というものを定着させ、複雑な物語を語ることを可能にしたという功績は大きい。また、エネルギッシュな創作力で、膨大かつクオリティの高い、さらに異常とも言える豊富なジャンルの作品群を多く生み出し、後々まで表現に置ける実験を繰り返したことが、やはりその後のマンガの発展と作家誕生に大きく寄与しています。

だから彼がいなければ、今日のようなマンガ大国ニッポンが形成されたことはちょっと考えにくいし、少なくともこのような形にはなり得なかったはずです。だから「マンガの神様」というのは形容でも比喩でもなく、単純な事実。何しろ彼は、強烈で膨大な作品の影響力でもって、日本文化の形を変えてしまったのだから(良くも悪くも、と一応付け加えておきましょう)。それはほとんど革命と言ってもいい。そういう意味で、手塚治虫とは、僕だけじゃない、多くのファンだけでもない、日本そのものにとって、特別な存在だったと思うのです。
posted by 晴居彗星 at 20:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

好きです、シャガール

「あ昨日も更新してねえ、今日こそは」みたいな感じで、気になりつつもずっとブログをほったらかしにしていたぐらい、まあ、日々精進しているわけですが。こういうのは継続しないと意味無いからね。

ああ、何したっけ、前回から今回の間に。あ、美術館行った。青山のユニマット美術館。調べてみたらば3月いっぱいで閉まるとかいうからその前に行こうと思ったのだった。シャガール観てきた。

シャガール好きなんですよ。なんか、整合性の無い夢観てるような感じがして。年代ごとに観ていくと、結構いろんな影響を受けているのがわかって、初期はゴーガン、ゴッホっぽいのもあるし、あからさまにキュビスム的なのが前面に出てるのもある。でも、やっぱりシャガールって言うと、あの妙に人間臭い目をした動物やら、バイオリン弾いてるじいさんやらが、なんかすごい自動書記っぽい(ように見える)感じで並べられた構図の絵が思い浮かぶなあ。絵だけ観れば「こいつ頭おかしいんじゃないか」って感じけど、伝記映画なんか観ると、かなりチャキチャキ芸術論語ってたりしてね。しかも長生きだし。97歳まで生きたんだっていうんだから。70代にして「この頃全盛期だった」とかいうナレーションが入ってて、素晴らしいです。ナチュラルな狂気の持ち主って、もはや一回転して、わりと普通な感じになるのかも。その辺が、自分で耳切り取って銃で死んじゃう、苦悩の狂気のゴッホなんかとは違うとこなんでしょうかね。
posted by 晴居彗星 at 17:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

横浜トリエンナーレ

昨日もパフォーマンスの稽古。
稽古場に行くために1ヶ月分の定期を買っているのだが、昨日バイト終わってさあ行くかと思ったらその路線がストップしていて、なんだよー、と別の路線の電車に乗ったはいいが、発車寸前にそのストップが解除されたとのアナウンスが聴こえて、マジかよと思った瞬間に扉閉まる。次の駅で降りて戻るのもめんどくさいのでそのまま行った。くわっ。な気分でダンスの振り付けを覚える。

今日は現代美術の展覧会である横浜トリエンナーレに行ってきた。前回に行ったのがこの前の回だったか前の前の回だったか忘れたけど、その時よりも広範囲でやってた。ホントはチェルフィッチュが『フリータイム』を上演してた日に行こうかと思ってたけど、なんか用事があったか忘れてたかして行かなかったんだな。今日は特にパフォーマンスとかは見掛けなかった(見つけなかっただけかもしれないけど)。作品内容に関係なく、単純にファインアートよりも映像とかにスッと目がいくのは、たぶん、鑑賞者の自分としては動いているものが好きだからだと思う。あとやっぱり、自分から探って見つけに行くというより、自分をいつの間にかどっかに連れてってくれるような作品が好きなんだと思った(要は怠け者なんだな)。映像の中には、土方巽とか、ハイレッド・センターとかの記録もあって興味津々。あと会場の一つである日本郵船海岸通倉庫の映像ばっかり展示してるスペースが、個々の作品がどうのっていうよりも、なんかスクリーンがカオスな感じで幾つも吊るしてあって、そこに多種多様な映像が同時にバーッと投射されているというそのシチュエーション自体がちょっと面白かった。

全然関係ないけど、今日は何故か知らんが、ずっと頭の中でピクシーズの『Here Comes Your Man』が流れていた。あと帰りに新宿の紀伊国屋で本を4冊ドサッと買ってきた。そんな休日だった。
posted by 晴居彗星 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

ジブリのレイアウト展を観た

先日、東京都現代美術館で開催されている『スタジオジブリ・レイアウト展』を鑑賞した。
レイアウトとは画面構成のことだが、アニメにおいては絵コンテと作画の間に行う作業のようで、絵コンテで大雑把に決められたものを明確に設計する段階とのこと。

スタジオジブリには宮崎駿と高畑勲という両巨頭がいる。絵に関して言えばやはり宮崎駿の凄さは名高い。宮崎駿が着想からイメージボードを描き、そこから脚本の代わりにいきなり絵コンテを切ってしまう(構想やプロットはある程度書くみたいだけど)というのは有名な話である。しかも、それを書き終わらないうちにスタッフを動かして制作に入ってしまうというやり方も、よく考えてみたら通常の映画では絶対にあり得ない。事実上、宮崎駿個人が作品を全て背負っていうという状態で、巨額の予算を投入してアニメ制作するというのは尋常じゃない。しかもそれがヒットするのだから。毀誉褒貶あるが、宮崎駿がアニメ監督としては空前絶後の怪物であるというのは揺るぎない事実であると思う。高畑勲という人は純然たる演出家であって絵は描かず、そのかわり綿密な打ち合わせで画面構成を決定していくと聞いたことがある。

で、話を元に戻すと、レイアウト展である。様々なスタッフが描いているから、それぞれ絵のタッチが違う。もちろん、宮崎駿は作画から何からほとんど全てこなせるマルチプレーヤーであるから、当然彼自身が描いたレイアウトも存在する(特に初期)。僕は熱心なマニアではないので判別出来ないのもあるけど、明らかに宮崎自身のものと分かる絵もあって「あ、これきっとそうだ」と展示物から探す楽しみもあった。レイアウトを観るということは構成を観るという面白さである。もちろんアニメーションという動画における構成が終着点なのだろうけど、それに至るまでに絵一枚一枚の構成を計算して描くというのは考えてみれば非常に豊かで大変な作業である。一枚絵として観ても単純に良いと感じるレイアウト画もあり、そこに「観たことあるアニメの一場面」という付加価値が、ジブリアニメ世代としては嫌が応にもついてしまうわけで、でもそれがこの展覧会の楽しみ方なんだろうなあと思った。観ている人がみんな「あ、これあのシーンだよね」とか会話しながら鑑賞してたしね。

作品によって極端に展示が少ない物もあり、かと思えば『千と千尋の神隠し』のレイアウトなどは壁一面にほとんど雑然とも言えるほどベタベタベターっと展示されていて、高い位置に貼られているものは若干見にくいほど。そこにカップルを中心とした鑑賞者がものすごい、むぉんのすごい沢山いた。平日の昼間ですよ。清澄白河駅から歩いていったが、道中はほとんど人通りが無くて閑静だったのに、あの展覧会の中だけ何じゃこりゃ。改めてジブリの集客力の凄さを感じた。
posted by 晴居彗星 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

岡本太郎美術館

川崎の岡本太郎美術館に行ってきた。以前、渋谷にある岡本太郎記念館に行ったことがあって、そこは岡本太郎のアトリエがそのままミュージアムになっていたのだが、今日行った美術館の方は、向ケ丘遊園駅からバスに乗って10〜15分ぐらい、さらに急で長い階段を下りていった、谷底のような辺境にある。まるで人を寄せ付けないかのような立地だが、その建物や展示はなかなか充実していて、チケットも安く、一見の価値あり。

様々な作品を鑑賞して改めて思ったのは、やはり岡本太郎の絵というのはキャラクターデザインに近いなあということ。制作している様子も映像も観たが、面で捉えるというよりもやはり線で、ワシッワシッと絵筆で、まるで書道でもしているかのように一気に輪郭線を描いていく。さらにほとんど原色をそのまま使ったような色使いで、強烈な存在感を持たせる。絵の中に見える、大きな目を持った生命体たち。それらがキャンバスの中で、曲線や鋭角を絶妙に組み合わせながら構成されており、遠くから観ると、グラフィック作品のようにも見える。アニメーションにして動かしてみたら面白そうだなと思った。何しろ、明らかにその絵の中で、その生命体は今にも飛び出しそうな勢いで、生きているのだ。

他にも、彫刻や立体作品など様々な展示があり、そしてそこにはいつも「遊び心」が感じられた。芸術とは爆発であると同時に、やはり遊びなのではなかろうか。鑑賞していると岡本太郎と一緒になって、芸術を楽しむような気持ちになる。小学校の頃に図工の時間で楽しく「げいじゅつ」していたあの頃にこそ、本質があるのではないか。そんなことを思いながらTAROと戯れた雨の日だった。
posted by 晴居彗星 at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

青春の残滓としての前衛(「青春のロシア・アヴァンギャルド」)

Bunkamura ザ・ミュージアムで「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」を観てきた。

ロシア芸術はほっとんど予備知識が無かったので、鑑賞前に主な作家のラインナップを見てもシャガール、マレーヴィチ、カンディンスキーぐらいしかピンと来ず、実際に鑑賞しても、なんとかスキーだのなんとかエフだのという大層な名前を全然覚えられずに帰ってきてしまったのは申し訳ない。なんで観に行ったかつったら、そりゃもう「アヴァンギャルド」という文字の入った展覧会のタイトルの力ですよ。前衛的な作品って好きだからね。

しかし、アヴァンギャルドに慣れ過ぎてしまった現代に生きる僕達が今これらの作品を観るということは、どこか「かつてのアヴァンギャルド」という昔の光を観ているような感覚に陥ってならなかった。もちろん、今でもこれらの作品はアヴァンギャルドと規定されるのかもしれないけど、いやそうじゃないんじゃないか、これはもはやスタンダードではないのかという意識も僕らは既に持ってしまっていると思う。アヴァンギャルドが「既成概念の破壊」というよりは「なんかそっち系のジャンルのひとつ」的な扱いになっている今現在において、つまりは「破壊」もネタとして成立してしまっている。そういう意味では、あの頃これらの作品が発表された際のリアクションというものが、今感じられるものとしては知識を頼らなければほとんど希薄になってしまっているというのは哀しいところだ。時代を重ねるごとに、どんどんいろんなことやられてしまうからな。しょうがない気もするけれども。そういう意味においても、これはまさに「青春」の展覧会だったのかもしれない。

しかし昔の光がそれでも美しく星座を形作るように、今でもこれらの作品の輝きそのものは失われはしないし、今まさに現在進行形のアヴァンギャルド作品も、現在進行形の青春を送っているのだろう。いくら時代が重なり続けても、時代の数だけ青春もあるのだ。
posted by 晴居彗星 at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

デザインフェスタを歩く

デザインフェスタに行ってきたわけだけれども、ああ、出店したわけじゃなくて普通にお客さんとして行ったんですけれども、今まで行ったことなくて今回初めて行ったんですけれども、いやー、人多い。お客さんもそうだし、アーティスト側もね。全部観るのにも一苦労。「観る」というか「眺める」というか。いろんなことやってる人がいるもんですなーと、無難な感想で申し訳。

沢山のジャンルのものをどんどん観ていくというのは体力の要る作業で、物理的にも会場が広いので歩きに歩いて、頭がチャンポン、足がスティック。ラーメン食ってベンチに腰掛けて、目に映るパフォーマーのダンスを観ながら「アートって、なんだろう」というフレーズが頭によぎった午後のひととき。
posted by 晴居彗星 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

無意識と作為(『シュルレアリスムと写真〜痙攣する美〜』)

東京都写真美術館で企画展『シュルレアリスムと写真〜痙攣する美〜』を観る。去年も横浜美術館でシュルレアリスム展を観たわけだが、今回のは「写真」という表現におけるシュルレアリスムのあれこれ。我ながら、好きだなあ。つくづく。

絵画表現と写真表現の違いは、写真は基本的に「リアル」という文脈の中にあるという点だと思うのです。つまり、絵は無い物を描けるけれども、写真は撮影現場に無い物は撮れないわけで(これは演劇と映画の違いにも言えるのだけれども)。で、これは足かせにもなるのだが、逆に言えば、写真には絵画以上に、モチーフの存在感に説得力が生まれるということにもなる。要は、何を言われたところで「だって現に撮れてるじゃん」というのは、存在感を示す点ではこの上ない主張じゃないですか。従って、シュルレアリスムにおいて写真という表現を用いるということは「超現実的なものが写真に収められている=現にそこに存在している」というリアルな印象を観る者に与えることが可能であり、うまくすれば絵画以上のインパクトがそこに発生するわけです。

もちろん、前述の通り、いくら超現実的なイマジネーションを写真に収めたいからと言って、無い物は撮れない。だから写真家は、多重露光、特異なアングルでの撮影、コラージュなどといった多様な技巧を凝らす。それによって、そこにあるものがどこにも無いものに生まれ変わり、それがフィルムに焼き付けられることで、今度は無いものがあることになる。これは考えてみれば大変に奇妙で、そして刺激的なプロセスではなかろうか。これによって、見慣れたモノが何だか気持ち悪いモノに変化するし(これはサルトル的な意味での嘔吐感にも通じるのでは?と薄ぼんやりと)、写真に収まった人形はまるで生身の人間のブロマイドのそれにも見えてくるし、ペタペタ貼付けられた様々な写真は、リアルは重なることでリアル以上のリアルを生み出していく。

あのー、無意識というものがことさらフューチャーされるシュルレアリスム表現だけど、少なくとも僕には、その制作プロセスに大きな作為が見えるし、もっと言えば、他の表現以上に理屈っぽさを感じる。そしてそういうところにこそ、シュルレアリスムの魅力があるように、僕には思えるのですよ。ああ、これこそ人間の手による表現だなあ、と。
posted by 晴居彗星 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月13日

風のように(高橋幸郎展〜臨時の景〜)

近所の家具屋で椅子を買って組み立てた後、東銀座へ行って、ギャラリー檜で開催されていた高橋幸郎展を鑑賞。東京造形大の講師の方だそうです。何故に観に行ったかというと、造形大の友達に勧められたから。『臨時の景』というタイトルで、白い壁四方に渡って、細い木材と切ったチラシを組み合わせた作品が展示されていた。微妙に歪曲していくようなフォルムで形作られて、そこに、余白がこれまた一筋の線のように、作品の中にアクセントとして形作られていた。僕の中では「風」が喚起されました。緩やかで穏やかなる風。
posted by 晴居彗星 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月25日

紙のゆくえ(「サステナブルな紙展」)

新宿のリビングデザインセンターOZONEで開催されている、東京造形大学・大学院プロジェクトチーム主催の「サステナブルな紙展」を観に行った。紙を素材とした作品が展示されていて、なかなか面白かった。

エコロジーが叫ばれている昨今において、紙とどう付き合っていくかというのが大きなテーマに掲げられており、だから作品も実用的な、生活用品や暮らしに根付いたようなものばかりだった。再生紙に肥料を混ぜ込んだものや(過不足無く畑に敷き詰めることが出来る)、カセットテープやタイヤのチューブを再利用した鞄、耐水性に優れた牛乳パックを再加工して作ったポストなど、コンセプトが良く、デザイン性も優れた作品には目を惹かれた。アイディアだよなあ。やっぱ、アイディアですよ。
posted by 晴居彗星 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月19日

東京造形大の卒業制作展を見た

イベントの内容を考えつつ、インスピレーションでも貰おうかなと、東京造形大学の卒業制作展を見に行った。

一度にいろんなコンセプトによるいろんなジャンルの作品を観るのは疲れる。何が良くて何が良くないのか段々麻痺して、なんか全部「これはこれでアリ」とか思えてくる。

際立って「これ!」と印象に残ったものを挙げるのは難しいが、それぞれのジャンルで1つか2つは大体惹かれる作品があった。緑を基調とした、水中を描いた大きな絵とか、あらゆる顔の映像にスマイルマークを重ねて映写した作品とか。それにしても、こんだけたくさんの人が芸術というものを考えて、それぞれの芸術観があって作品を作っていると思うと「あー、日本って豊かだなぁ」と感じる。

映画作品も幾つか観たが、やはり低予算・少人数で面白い映画を作るのはとても難しいとつくづく思った。特に実写の劇映画だと、どうしても内容が似通ってしまい「あー、はいはい、そっち系ね」みたいな印象を受けてしまうのは、作り手を目指す僕としても改めて色々と考えざるを得なかった。でも、どうあれ、やっぱりちゃんとああいう風にひとつの作品として完成させることが大事であって、幾ら頭の中で「オレならもっとすげえの作れるぜ」と粋がったところで、それは机上の空論である。そういう意味では刺激になった。

ジャンルで言えば、彫刻が面白い。昔はさほど興味が無かったが、実際に作品を鑑賞するとなると、あの「モノ」の感じ、物質というか物体というか、存在感が他のジャンルよりもググッとあって、なんというか非常に安心して見ていられる。

造形大生で、今度のイベントにも作品展示という形で携わってくれる予定の友人と少し話をした。作品内容を聞いて、また少しイメージが具体的に見えてきた。こういうことの積み重ねが大事なのである。
posted by 晴居彗星 at 23:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

観劇、シュルレアリスム、路上パフォーマンス

僕の出身高校演劇部が県大会で芝居をやるということで、横浜に行って観劇をした。野心的な作風でグッジョブ。今の現役生とはわりと密な交流があるので思い入れがある。

で、観劇後、そういえば横浜美術館でシュルレアリスム展をやるってのをこないだ電車の中吊り広告で見たぞと思い、幸いホールから美術館まで歩いていける距離だったので、これは丁度いいからついでに行くべ行くべと足を運んだ。

正確には「シュルレアリスムと美術〜イメージとリアリティをめぐって〜」という企画展である。後にシュルレアリスムが誕生するきっかけとなったダダから現代に至るまでの様々な作品が展示されており、2時間ほどかけてゆっくりと鑑賞。僕はシュルレアリスムがとても好きで、あの、現実にはあり得ないイメージをそのまま当たり前のように作品に転化させる、というのがすごく、ああ分かる、そういうことしたくなる気持ち分かる、って感じがするのだ。僕の最も好きな画家はマグリットである。あの淡々とした感じ、超現実的だけど写実的な画風、そしていつもどこか哲学的な匂いを漂わせているそのイメージ。まさしく「イメージとリアリティをめぐって」を体現した画家だと思う。ここでは『大家族』や『固定観念』などの作品が展示されていた。
今回、僕が最も強く惹かれたのは、ロベルト・マッタの『1944年』という作品である。これは結構、グッと来た。これはまさに宇宙である、と思った。不勉強で僕はマッタという画家を今まで知らなかったのだが、後期シュルレアリスムの代表的な画家であるらしい。自分の不勉強を恥じると共に、ちょっとびっくりして、数分間ボーッとその絵を眺めていた。

観賞後、下北沢に行った。僕の高校時代の先輩で、今は大学で演劇を専攻している人が参加している集団が、駅周辺で路上パフォーマンスを行っていると聞いて、ちょっと見物。なんか突飛な衣装を着て街を闊歩したり、駅の出口で不条理劇をやったり、選挙演説のパロディみたいなことをしたりしていた。天井桟敷の市街劇みたいなのを想像してたら、そこまで大掛かりじゃなくて、わりと範囲を絞ってやっていたので捜しやすかった。観ながら、この人達ホントに芝居が好きでしょうがないんだろうなー、と思った。
posted by 晴居彗星 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

絵の具の匂いは好き(ZOKEI FINE ART EXPO 07〜絵画科大博覧会〜)

東京造形大学のイベント「絵画科大博覧会」を観に行った。

いろんなジャンルの絵画作品があったわけだけど、面白いなあと思う作品もあれば、どう感じていいやら分からない作品もあった。まあ、そうだわな。

僕は最近、見方や受け取り方をある程度限定してくれるような絵の方が好きな傾向にある。抽象的な絵にしてもリアルな絵にしても、コンセプトが比較的明瞭だったり、強烈なインパクトがあったり、ちょっと人とは違う変わったことをやってたりしていると、それを手がかりにして、観る方向性が掴みやすい。どうとでも取れる作品は、どう取っていいものやら考えているうちに、なんかそっちの方にばっかり意識が行っちゃって結局よく分からなくなる感じがある(昔はそういう絵も好きだったんだけど)。

だからまあ、絵と言いつつ映像を一緒に使ってたりとか、なんか変なものを一杯貼ったりしてたりとか、展示の仕方が変だったりとか、そういう、他の作品と並んでて、明らかにこいつだけ浮いてるよ、みたいな作品をやはり面白いと感じる。それは、ノーマルな映画よりも実験映画が好き、みたいな感覚と似ていると思う。

沢山の作品があったので特にどれが、とはなかなか言えないのだが、今思い出してパッと出てくるものとしては、なんか壁に映っている映像と絵を微妙にシンクロさせたような作品。それから、履歴書のパロディみたいな作品。地図の地名を全部「水族館」に変えて印刷したような作品。自殺の直前に書いた手紙、みたいな作品。この辺りが、今日観て印象に残った作品です(タイトルは全部失念したけど)。
posted by 晴居彗星 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。