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2009年05月30日

読後感のための速度とリズム

村上春樹の新作長編小説『1Q84』が発売早々、売れに売れているようで。出版不況と言われているこのご時世に、やはり異例だそうです。なんだかんだ言っても、普段純文学にあまり興味が無い層にも認知されている、ほとんど唯一と言っていい作家ですからね。それにしても、何だか扱い方の格が違うなあ。僕もひと通り読んでますよ。ついこないだ『東京奇譚集』をようやく読んだとこです。出版不況の中でもこれほどまでに売れるのは何故なのか。クオリティに対する信頼感なんでしょうかね。「村上春樹なら面白いに違いない!」という。このあたり、アニメにおける宮崎駿ポジションに近い気もします(そんなことない?)。

さて、そんな中、僕は昨日、ライトノベル界における村上春樹(人気で言えば)であるところの、西尾維新のデビュー作『クビキリサイクル』を読んでみましたよ。文芸誌とか書評とか読んでると、西尾維新ってよく聞く名前だったんで、どんなもんなんだろうと思いまして。ジャンルで言うとミステリですけど、それよりもなんか、全体を囲う厭世観というか諦念オーラが面白い。なんかやたらいろんな言い回しで畳み掛ける「戯言」の負のパワーみたいなのがいいですね。話の展開も速くてキャラも属性がわかりやすい(この辺は、同時代的に共有する感覚に拠るところもあるのかな)。少年マンガ読んでるような感覚でサクサク読めました。二段組みで普通程度に厚い本だけど、本読むのがそんなに速い方でもない僕でも、トータルで2〜3時間ぐらいで読めたんじゃないかな。こういう「マンガを読むような感覚で読める」というのは、いわゆる純文学にカテゴライズされるような作品にも(まあ、今やカテゴリーなんてほとんど意味のない時代ですけど)、もっとあってもいいんじゃないかと思いましたね。

あと最近読んで「おお、すげえ面白い!」と実感したのは、野坂昭如。前にもちょっと読んでた時期があるんですけど、改めて面白さにしびれました。一般的には最近はテレビに出てた時の印象の方が認知されている感があるような気がするんですけど、作家としてもっと評価されていいと思いました。つらつら長いセンテンスで文章を繋げていく系譜(と言っていいのかわからないけど)が小説にはあって、今だと川上未映子さんが有名ですけど、野坂昭如はなんか、独特のクセがあるというか、変な喩えだけどお経を聴いているような、それでいて(それだからこそ)スッと入ってくる。内容がまたディープなんだ。たとえば『マッチ売りの少女』における、ある娼婦の少女の、寓話的だけど残酷なまでのリアルを漂わせた一代記が「それも消えて闇。」で終わる時の、救いが無いくせに不思議と読後感に残る心地よさはなんだろうか。やはりリズムって大事ですよね。小説読むときには、やはり無意識のうちに文章から浮かび上がるリズムに乗っている、酔っている。
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2009年05月26日

ウシジマくんのこと

スピリッツで連載してる、真鍋昌平のマンガ『闇金ウシジマくん』の「楽園くん」編の世界観が、なんだか斜め上を行っていてイイ感じです。風刺のデフォルメさ加減がいい。最近はモーニングをスピリッツがだいぶ追い上げてきた印象。昔から王道的な作品と一緒にアクの強い作品(いい意味で)を載せる傾向あるけど、最近は比率的に、なんかかなり作家主義っぽい雑誌になってきた感じがする。いいことだ。
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2009年05月17日

「水」と小田急線

バイト後、久しぶりに古巣である本厚木で酒を喰らいました。
でも明日もバイトなので、トンボのように帰路。

行き帰りの小田急線で中島らもの『水に似た感情』を一気に読了。
僕はたいして本を読むのが速い方でもないですが、小田急線の新宿〜本厚木間は急行でも1時間弱かかるので、読書するか寝るかしていないことには、ヒマでしょうがない。

快速だと45分ぐらいかな。
急行と快速の大きな違いは、快速だと、急行で停まる4つぐらいの駅を飛ばして、下北沢〜新百合ケ丘がノンストップになることなんだけど、乗ったことある人ならわかると思いますが、このノンストップ区間はホント長い。ちょっとした私鉄の始発駅から終着駅に匹敵するんじゃなかろうか。この間におしっことか行きたくなったら地獄です。

そんな状況で『水に似た感情』なんか読んだ日にゃ、いてもたってもいられないんじゃないか。「水」なんて文字を見るのも辛いだろ。
いや、実際の内容はそんな、水がどうとかって話じゃないけど。バリ島を舞台に、ゆらゆら漂うような気分で読める、幻想に躁鬱を織り交ぜた、トリップできるロケーション小説だった。
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2009年05月10日

忘れた頃に読書の記事を

今日も今日とて、早めに寝て深夜に起きようと思って、日本酒呑みながらマンガを読んでいます。今読んでるのは萩尾望都の『訪問者』です。萩尾望都をちゃんと読み出したのは結構最近なのですが、本当に面白いですね。もっと早くから読んでいれば良かったと思いました。

女性のマンガ家で言えば、最近(と言ってもちょっと前ですけど)読んだのですごいと思ったのは、高野文子。今更ながら読んだんですよ、第一作品集であるところの『絶対安全剃刀』を。なかなか衝撃的でした。何しろ、ほとんど全てがと言っていいほど、どれも絵柄が違うんです。『方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行』は大友克洋風だし、『田辺のつる』はきいちのぬりえ風だし、『うらがえしの黒い猫』は、それこそ萩尾望都みたい。作品に合わせて画風そのものを変えて、なおかつ、自分の世界観を溶け込ませている。『田辺のつる』は痴呆症の老婆の姿を幼女として描くことで、逆に怖さがにじんでいるし、『ふとん』の冒頭部分における、葬儀の儀式性の描き方はとても巧み。凄い作品集です。

どうも最近マンガのことばかり書いていますが、普通に、小説とかも読んでますよ。感想書くのがしんどいのでスルーしてますけど。舞城王太郎の『ディスコ探偵水曜日』、あの分厚い上下巻の奴も遅まきながら読みましたよ。スケールの大きい話は好きです。僕は上巻のパートが面白かったな。今は町田康の『告白』を半分ぐらいまで読みました。ずっと主人公が思弁していくんですけど、その思考が、痒いところに手が届く感じなので気持ちがいいです。町田康にも舞城王太郎にも言えるのは、とにかく内容と同時に、文体自体がグイグイ読ませる形であるということですね。口の中で噛んで転がすような読書もいいですけど、スピード感のある読書は爽快です。

最近はこども向けの物語を「やっぱ面白いよな」って感じでよく読んでるんですけど、初心に還るというより、やはり本って言うのは読んで素直に面白いっていうのが大事だなと再確認したって感じです。前衛がどうしたとかポストモダンでどうのこうの言うのもいいけど(そういうのも好きですよ)、単純に「本読むのって面白い!」って感じたあの頃の感覚を忘れずにいたいものです。

さて、寝るか。
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2009年02月08日

『人間失格』がマンガに!

今週の「コミックバンチ」を見てあっと驚いた。なんと古屋兎丸の新連載がスタートしているではないか。しかもそれが太宰治の『人間失格』のマンガ化だというからさらに吃驚仰天。これは注目だ。

確かに昨今はハリウッドの見境の無いリメイクよろしく、日本のマンガ界においてもやれ小説のコミカライズだの映画のマンガ版だのが台頭していて辟易しているところだが(逆パターンも多いが)、古屋兎丸がやる限りにおいては大いに期待が持てるところだ。とりあえず連載第1回目にして、物語の舞台を現代に移し、作者である古屋兎丸本人がネット上で例の「恥の多い人生を送ってきました」という手記と三葉の写真を見つけるという、今これをマンガ化するにおいて、一番原作に対して誠実なる脚色を行った導入部からスタートしていたので、非常に安心している。黒澤明の映画よろしく、ある普遍性を持った古典のリメイクというのは、かくあるべきである。

そこから一気に、既に主人公が美大予備校に通う高校生で、そこで堀木と会い、風俗(ピンサロ)に行くといった、「第二の手記」をアレンジした部分から始まっている。この時期が連載のメインとなるのだろうか。ともかく、近来のマンガ界の悪習のひとつである、連載の無理な引き延ばしを行わないことだけ願う(あのドストエフスキーの長編を文庫本一冊程度の長さにまでまとめた手塚治虫の名作『罪と罰』に学べ!)。そういえば『人間失格』の主人公はマンガ家であったし、手記という形式も、メタ的要素が使いやすそうだ。どのぐらいアレンジを加えるのか、これは連載が楽しみだ。

しかし『人間失格』を取り上げるとは、これは一本取られた。古屋作品を一読するとわかると思うが、彼の画風・作風と『人間失格』は大変相性が良さそうに思える。ともかく第1回目を読んだ感触としては、単なるフニャケたコミカライズで終わることはあるまいとの印象。「ジャンプスクエア」の『幻覚ピカソ』の連載もなかなか良いし(物語パターンのバリエーションがもうちょい欲しいが)、古屋兎丸、絶好調だな。
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2009年01月27日

叙情とトラウマ(『ジュン』『デビルマン』)

なかなか忙しくしております。と言ってもバイト以外は基本、家にいます。脳内的・作業的に忙しいという話です。この忙しさが実を結べばいいが、結ばなければただのひきこもりの徒労だ。結べ、実!

「結実」が今、僕の最も憧れる単語でしょうか。
まあ、結ぶかどうかはお前の努力次第じゃねえかという話ですが。

ところで今「憧れる」って書いて、その文字見て気付いたんですけど、「憧」って字、りっしん偏に「童」って書くんですね。りっしん偏って、「心」って字の変形でしょう? ということはつまり、人は誰でも「童心」にあこがれるっていう意味なんですかね。もしそうなら、すごくよく分かるなあ。

童心とは特に関係ないですけど、近頃、またマンガをよく読み始めています。と言っても、古いマンガばかりですけど。最近読んだので面白かったのは、石ノ森章太郎の『ジュン』と、永井豪の『デビルマン』。

『ジュン』は石ノ森章太郎(当時は石森章太郎ですけど)が「COM」に連載していた「ポエム・マンガ」な作品。台詞が極端に少なく、コマに描かれた情景からイメージを喚起させるという、実験的な色合いの強いマンガで、そのクオリティに手塚治虫が嫉妬して「あれはマンガではない」と発言し、ショックで連載を中断した石森に後日、手塚が謝罪に行ったという有名なエピソードがあります。多くの短篇の集積なんですけど、よく出来たショート・ショートのようなものもあれば、シュルレアリスティックで自動書記的な作品もあります。さりげなく絵画が引用されていたり(ボッティチェリ、モディリアーニ、マグリット他多数)、ベルリオーズの『幻想交響曲』のマンガ化を試みていたりもして、面白い。コミカルな作品もありますが、全体を通して非常に叙情的なマンガ。

『デビルマン』は何故か今まで食わず嫌いで未読だったんですけど、読んでみたら面白くて面白くて、一気に読んでしまいました。僕が読んだのは講談社文庫版だったんですけど、これ、途中の絵柄がちょっと違うんで、いろいろ合わせて再編集したのかな。知らんけど。とにかく、後半ですよ、後半。全般的に力技で書いているという感じですが、なんだか、読んでいる方も手に汗握るってなもんです。ボルテージが上がっていくに連れて狂気の域に突入していきます。詳しいこと書くのはアレなんでぼかして書きますけど、要は、話はエスカレートして世界を巻き込む暴動が起こって、主人公やその親しい人も巻き込まれていくんですが、その顛末がもう、幼少期に読んだらばトラウマ必至。「あー、そこまで行っちゃう?」という展開で、いい意味でメーターが振り切れてる。僕はああいう容赦の無さ、大好きですね。これ、確か「週刊少年マガジン」の連載だったと思うんですけど、今のマガジンじゃ厳しいんじゃないかと。70年代当時の「ガロ」的な色合いの強かった少年マガジンだからこそ成立したんでしょうね。題材からして宗教色も強いですけど、ラスト間際なんて、宗教画の羅列みたいなもん。これこそ「こんなのマンガじゃない」的なある意味コペルニクス的転回ですね。ラストシーンなどは明らかに『新世紀エヴァンゲリオン』に影響を与えてますね。いやこれは、ある年齢の時に読んだら、影響を受けざるを得ないだろうなあ。影響というか、だから、トラウマ。
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2008年09月01日

スケールの差

福田さんの辞任会見とかで世間が騒いでいる中、
僕はベッドでゴロゴロしながらアポロドーロスの『ギリシア神話』を読んでいる。

圧倒的なスケールの差で、ギリシア神話の勝ち。
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2008年05月19日

たまには読書の記事を

『新潮』の最新号に、岡田利規の戯曲『フリータイム』が掲載されていたので、同時収載されていた短篇小説『楽観的な方のケース』と合わせて読んだ。最近は演劇界隈が元気なせいか、劇作家の戯曲とか小説とかが文芸誌によく載っている。前田司郎の『誰かが手を、握っているような気がしてならない』と本谷有希子の『遭難、』が三島由紀夫賞にダブルでノミネートされてたりね。『フリータイム』は舞台を観よう観ようと思っていたらいつの間にか終わっていたので、戯曲だけでも読めて良かった。相変わらずの岡田節。朝のファミレスを舞台にした作品で、内容は単純だけど細かくやる、みたいな(と言ってしまうと身も蓋も無いのだけれども)。演劇に対して、シェイクスピアとか劇団四季のイメージしかない人は読んでみると良いのでは。ああ芝居ってこんなのもあるんだ、と新鮮になるかと(ただ岡田利規の芝居は身体表現のウエイトも大きいので、実際に観た方がいいけど)。小説の方は、主人公の一人称からそのまま他の人の内面の描写に移行して、でまた戻って、みたいな感じの文体で、文章はやっぱ岡田利規的な意味での現代口語。あれを面白がれるかどうかが分かれ道。

住んでる周辺に図書館が幾つかあって、そのうちのひとつは去年できたばかりらしく、本がどれも新しい。蔵書がまだ少ないけど。でも行く度に蔵書が増えていて、新しい本もよく入ってる。単行本の、紐のしおりの挟まり方から見て「あ、これ借りたの絶対僕が最初だ」と思うことも多い。そういうの、ちょっと嬉しい。
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2008年01月07日

書かねばならぬ現代(『21世紀を憂える戯曲集』)

年末、バタバタしていて全然気付かなかったのだが、僕の大好きな劇作家・演出家である野田秀樹が新しい戯曲集を出していたのを昨日書店で発見して、即購入した。
『21世紀を憂える戯曲集』がそれである。野田秀樹の最新作『オイル』『ロープ』『THE BEE』の三編が収録されている(『THE BEE』のみコリン・ティーバンと共作)。

3作いずれも、既に『文學界』や『新潮』に掲載された時に読んでいたのであるが、こうやってまとめて読み返してみると、改めて野田秀樹の天才性を感じると同時に、現代という時代性も強く感じる。

最近の野田作品は、非常にメッセージ性が強くなっている。もう、あからさまに。夢の遊眠社時代、あれほど「なんだかよくわからないけど面白い」と形容される夢想的な芝居を書いてきた彼が、極めて強い意志を持って、伝わりやすいように「現代」を描いているのには、彼の中の「今、これを書かなければならない」という切迫感の表れを感じる。表現者としての、ある種の使命感とも言うべきか。

もちろん、言葉遊びや様々な空間のコラージュを用いた、イマジネーション豊かで時空を超えた世界観は今でも健在だが、最近の作品には、そこにかなり具体性が盛り込まれている。例えば『オイル』ではあからさまにアメリカや日本といった固有名詞、原爆や同時多発テロのような具体的な事象を出し、何をどうモチーフにしているのかをはっきりと提示した上で、そこに神話的世界観を重ね、一つの大きな寓話を描き出している。寓話性という点で優れている『ロープ』は、世界をプロレスリングになぞらえ、戦っている選手とそれを煽っていく観客やメディアといった構図によって、エスカレートしていく戦争というものを、非情なほどに分かりやすい寓話として描き出していく。同じように、脱獄囚に妻子を人質に取られたサラリーマンが、同じく脱獄囚の妻子を人質に取って立てこもり、その争いがエスカレートしていく様を密室感溢れるタッチで描き出した『THE BEE』は、筒井康隆の短編小説『毟りあい』が原作なのだが(わりと原作に忠実である)、これを今、この時代に舞台化しようと思ったあたり、野田秀樹の決意表明を感じざるを得ない。

僕は基本的には初期のような、自由奔放なイメージを組み合わせた「わからないけど面白い」野田作品が大好きなのだが、そんな圧倒的な想像力を持つ彼だからこそ、あえてメッセージを注ぎ込んで書いた作品には、圧倒的な迫力があり、受け手の胸に突き刺さる。フニャケた社会派ドラマだのイベントだのを蹴散らし、「芸術で社会にモノ言うとはこういうことだ」というのが、この戯曲集を読むとよく分かる。何しろタイトルからして『21世紀を憂える戯曲集』である。ここに収録された作品の圧倒的な面白さは、そのまま野田秀樹が21世紀を憂う気持ちの力か。そう考えると、何だか複雑な思いがする。
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2007年11月21日

これはR指定では(『古事記』)

ところで最近、岩波文庫の『古事記』(倉野憲司校注)をパラパラ読んでいた。もちろん、大まかなストーリーは知っていたのだけれども、よくよく読むと面白い。

例えば、最初の方で、この日本という国を作るにあたって、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)が、早い話がエッチするわけですね。それで生まれた子供が、まあ国土になったり神様になったりするわけだけれども。

で、その、イザナギがイザナミに、国を作りませんか、つまりはエッチしませんかと誘う場面があるのだけれども、それがもう、ストレートすぎてビビる。ちょっと引用します。
ちなみに文中の「成り餘れる處」「成り合はざる處」というのは、男女がそれぞれ持っている例の器官のことです、と言えばお分かりになるでしょう。

「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞ぎて、國土を生み成さむと以爲ふ。生むこと奈何。」

もう、ド直球。これほどまでにサラッと言ってのけると、逆にすがすがしい。想像だけど、ものっすごい真顔で言っているイザナギくんの顔が目に浮かぶ。
しかもそんなセクハラまがい(ていうかもはやそんな域を超えているけど)の、ぶしつけなこと言われたイザナミちゃん、当然怒るかと思いきや、

「然善けむ。」

とあっさりオッケーしちゃってるんだから凄い。

面白すぎるぞ『古事記』。こうやって日本が出来たんだと思うと、なんかちっちゃいこととかどうでも良くなる。
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2007年10月13日

完全なるダメ人間(『人間・失格』)

『せりふの時代』という雑誌がある。演劇好きで無い限り、ほとんどの人は知らないだろう。季刊誌で、そこそこ大きな書店じゃないと置いてない。演劇関連の記事や劇評の他、ここ最近の芝居の戯曲が3つぐらい毎回載っているので、僕はよく読んでいる。

今季号では、三浦大輔の『人間・失格』が面白かった(ホントは「人間」と「失格」の間にハートマークが入る。さっき入れて書き込んだら文字化けしてた)。ダメ人間を書かせたら、若手劇作家の中でこの人の右に出る者はいないのではないだろうか(僕の後輩は実際の舞台を観に行ったらしく、面白かったようだ)。主人公がホントに、もう心の底からダメな奴で、ダメすぎて悲しくなるぐらいダメな奴で、「でもどこか憎めない」なんてとても言えないぐらい(むしろ「死ね」と言いたくなるぐらい)、もう完膚なきまでにダメな奴である。そんなダメな男のダメぶりを、リアリティのある台詞(いわゆる現代口語)とシチュエーションで描く。岸田戯曲賞受賞作である『愛の渦』のカオスな感じと比べると、こちらはだいぶ明快な構成でコンパクトにまとまっているが、そのぶん分かりやすい。親にも友達にも元カノにも迷惑をかけ、自覚しつつそのままダメな自分を直さず、妄想の中だけファンキーに暴れられる、まさに人間失格な男。「こうはなりたくないな」と思いながら読むわけだが、しかし「ここまでじゃないけど、でも僕も…」みたいに、どこか身につまされる感覚。会話の間や電話のやり取りなど、細かい部分の描写に執着する書き方が偏執狂的で好きだ。ダメ人間が愛おしくてしょうがないんだろうなこの作者は、って感じ。
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2007年10月03日

「分かりやすくて面白い」の見本のような哲学書(『ツチヤ教授の哲学講義』)

そうだそうだ、一昨日の記事で、なんか書き忘れてるなと思ったら、土屋賢二の『ツチヤ教授の哲学講義』が抜けていたんだった。

土屋賢二はお茶の水女子大の哲学教授で、僕はこの人のエッセイの愛読者である。『われ笑う、ゆえにわれあり』とか『人間は笑う葦である』といったエッセイは、哲学的な論理の組み立て方をユーモアとして応用した名著であって、退屈な時にこの人のエッセイを読むととても面白い。で、先月読んだ『ツチヤ教授の哲学講義』は、氏の講義を文章化したもので、主にウィトゲンシュタインに代表されるような言語哲学・分析哲学(土屋教授の専門分野らしい)の考え方について解説したもので、基本的には「すべての哲学的な問題は言葉の誤解によって生じる」という点が講義の主題となっている。

だいぶ駆け足で語っているので「ん、そこんとこもうちょい掘り下げて欲しいな」という点もあったけれども、でも、平易な言葉で分かりやすく、幾つも喩えを挙げて説明する文章は、僕のような若造がその考え方のエッセンスを齧るにはぴったりであった。デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」を、「それは我々の言葉遣いが今みたいな約束事になってるから成立しているだけ」とバッサリ行くあたり、なーるほどねー、と納得したりもして。単純に読み物としても面白かったので、喫茶店で一気に読んだ。

まあ、土屋教授やウィトゲンシュタインが「形而上学的なことに意味なんかないでしょ」と言うのは分かるし、僕も「確かにそうかもしれないっすね」と納得したりもしたけど、それでも、少なくとも観念的な思考実験としては、僕はやっぱり形而上学的なことを考えたりするのは好きである。何故なら単純に面白いから。「世界とは?」「人間とは?」といった形而上学的な疑問に、ある種の「こうじゃね?」という仮説を立ててみる、というのが、僕がモノ書いたりする上でのスタンスだったりしているから。たとえ言語哲学的には意味が無いとしても、僕の中ではやっぱり意味がある。その辺りは、僕の中で上手い具合に棲み分けして同居出来ている、ような気はする。

でも、とにかく分かりやすくて面白い本だった。実際に講義を受けた学生みたいに、ノートに要点とかまとめたりしちゃったよ。これを読んだ後、以前借りて読み切れぬまま図書館に返却してしまったウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』をまた借りて読んだりした。この本のおかげで、だいぶ書いてある内容が理解出来た気がするが、また読み終わらぬうちに期限が来て返却してしまった。潔く買うか。
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2007年10月01日

ここ最近の読書

そういえば長らく「読書」の記事を書いていなかった。別に読書を怠っていたつもりはないのだが。でも最近、ナナメ読みが増えている気がするなあ。良くない。

最近は何が面白かったかな。カルヴィーノという作家は前々から興味があってずっと読もうと思っていたんだけれども、最近、初めて『まっぷたつの子爵』を読んだ。良かった。ああいう寓話的なお話はとても好き。僕もああいうの書きたいなあ。

それから中原中也の詩集は、高校生の時に一度読んで、その時はあんまり良さが分からなかったんだけれども、最近再読して「あれ、結構いいじゃん中也」と気付いた。なんて素直な人なんだろうと。『山羊の歌』より『在りし日の歌』に収められている奴の方が、特に分かる感じがする。あと未刊詩篇の中の「別離」なんか、好きだなあ。そのまんまな感じが。

あ、あと、さよなら安倍総理ということで『美しい国へ』も読み返した。
なんだか虚しい気持ちになってしまった。
posted by 晴居彗星 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月20日

同志諸兄!(『審判』)

バリー・コリンズの戯曲『審判』は全編モノローグ。しかしというべきか、だからというべきか、内容は実に重層的。

捕虜となり地下室に閉じ込められた将校達が、仲間の肉を食べて生き延びた様子を、二人の生存者のうちの一人である(もう一人は発狂)主人公が法廷の証言台の上で語るという、その設定だけでも強烈だが、一番強烈なのは、このモノローグの精密さ。饒舌で明確な語り口だけど、計算し尽くされた完成度。隙がない。証言台と地下室が、重なりあって目に見えるよう。そして主人公の、おそらく非常に鋭いであろう眼光も。

この法廷での「証言」という形式を採ったのは素晴らしい。この形式によって、観客は単なる傍観者ではなく、参加者となる。主人公が「同志諸兄!」と言う度に、こちらが試されているような気分。果たして観客は彼をいかなる審判を下すか。血の匂いのしそうな生々しい回想と、ズシリと重い緊密な訴えが、心に挑みかかってくる。

俳優の絶大なる精神力と体力を要求する戯曲だが、ナマの迫力は凄いだろうな。
posted by 晴居彗星 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

体温がそこにある(『西荻夫婦』)

久々にやまだないとの漫画『西荻夫婦』を読む。

何度読んでも良い。全体を流れる、緩やかなトーン。日常の積み重ねは、それだけでドラマ。真の「劇的」はそこにある、っていう。

ほんわかしている中に、切なさがいつも漂う。手書きのモノローグ、各章に挟まれるメモ書き的フレーズからは体温が伝わり。それはラフな絵柄からももちろん滲み出て。写真を加工した背景は、下手に使えばアンバランスな印象、でもこの作品においては、妙に溶け込んでしまう(絵柄自体はわりと漫画的なタッチなのに)から不思議。途中で散文入れるのも(あれは詩としても成立すると思う)絶妙。この人の漫画はいつも文芸的。『西荻夫婦』はその到達点。妻の件に関して、もうちょい知りたいとも思うけど、ちょっと分からないぐらいが丁度いいのかもね。

やまだないとは映画をかなり意識して作品を描いているタイプの漫画家だと思う(カネコアツシもそう)。『西荻夫婦』もきっと近い将来、実際に映画化されると思うけど(南Q太の『さよならみどりちゃん』のように)、その時は是非、やまだないと本人に脚本を担当してほしい。
posted by 晴居彗星 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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