2008年12月04日

詩『レモンの月』

高村光太郎の詩にあったように、
彼の妻である智恵子が死の床でがりりと噛んだように、
死の床でも無い、ただ憂鬱なだけの僕は、レモンを齧ってみたんですが、
智恵子の意識を正常にしたという、その酸っぱさは、
僕にとってはそれはそのまま、情けないほどにただ酸っぱいだけで、
光太郎みたいに詩的な昇華など出来なくて、
俗な僕はもう、単純に酸っぱさに驚いて、
思わずレモンを窓から夜空へと放り投げたんです。

そしたらそのレモンは浮かんだまま、そのまま月になりました。
僕の齧り跡がついたまま、三日月になりました。
あれから何日も立ちますが、相変わらず月は僕の投げたレモンのままで、
くるくると回転して裏返ったり横向いたりして、満ちたり欠けたりした姿を見せていて、
すずしく光っているんです。

そんなレモンの月を眺めながらふと思いました。
人は死んだら星になるというけれど、
だとするならば高村智恵子も、そして今であれば光太郎も、
同じあの夜空の星のどれかであるのだろうかと、
僕の亡き母も、誰かの亡き家族も、亡き恋人も、亡き友人も、亡き見知らぬ人も、
みんなあの星空のどれかであるのだろうかと、ふと思ったんですよ。

じゃあ、と僕は小さく願いました、
星々が浮かんでいるあの空に、
いつまでも僕の齧ったレモンが置かれ続けて、
そこから香る「トパァズ色の香気」によって、
いつまでも彼らが美しく輝き続けていられることを。

そうすればその星の雫は、きっと地上の僕らのもとへ、
「天のものなるレモンの汁」のように落ちてきてくれるだろう、
それは僕らの中に深く深く染み込んでくれるだろう、
そして幾人分もの命を記憶として僕らに与えてくれることで、
憂鬱なる僕らの意識を正常にしてくれるだろう。

機関がそれなりに止まってしまった彼らと、
かろうじてそれなりにまだ動いている僕ら。

たったそれだけの違いです。
どちらも、いつまでも、同じ世界に包まれているのです。
でしょ? 智恵子さん、光太郎さん。

今夜も僕の齧ったレモンは、夜空で美しく、すずしく光っている。
それを眺めながら僕の心も、何だかすずしく穏やかだ。



※幾つかのフレーズは高村光太郎の『レモン哀歌』より引用しました。(作者)
posted by 晴居彗星 at 23:54| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
個人的にこの詩がいちばん好きかも。
Posted by fk at 2008年12月09日 13:03
fkさん、気に入ってくださってありがとうございます。
Posted by すいせー at 2008年12月11日 23:05
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